親ばかうくンV3.226925 はうン囲碁部

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1999/02/06

なんか関心空間からじゅんじゅんにリンクされているらしいのでリンク切れの修正とか少し直しますね(2002/4/23)

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基本的にこういうのまとめるのって面倒で好きくないんだけど、どっかで基礎知識つくってるらしいので一応。日記コミュニティとか日記ディレクトリってわしも初耳だし。

@はうン(hauN)

ワシの知る限りでは、1995年秋に「ろむ蔵日記」に記載されていたのを発見したのが最初。その後当時べんりく(残骸)を運営していた加内氏がタイトル画像とその文体を気に入り使用していた。

その後、北大知能北大言語の人間を中心に「はうン」を使用する人間が増えてゆく。

1996年1月下旬。もりしま氏から加内氏へHTMLとCGIに関する書籍の執筆の依頼を受けたが、当時UNIX USERの仕事をこなすだけで精一杯だった彼は笹木氏を紹介して逃亡したらしい(詳しくはInternet Life誌1996年11月号(?)のもりしま氏の連載に記載あり←誰か覚えてない?)。

1996年3月17日(この日は松浦氏笹木氏、加内氏の誕生日に当たる)、しゃあるやちりン両氏の提案によりHNM発足。最初はそのメンバーのほとんどが北大知能・言語であった(←と思ったらナンパ氏って初回から参加していたのね(汗;))。その後、第5回HNMにて室蘭工大と北大の交流が活発となり、室蘭方面でも「はうン」という(表記としてではなく言葉としての)単語が流行りだすこととなる(ちなみにそれ以前に室蘭で使われた主な表記は「はぅん」や「はぅン」であった)。

ところで、「hauN」のNが大文字なのは、「はうン」のがカタカナであることを強調するためであると言われている(実はそれ以外にも、 haun より hauN のほうが左右のバランスが取れてて気持良いからという理由もあるようだ)。そのため、当時から「はうン」を常用してきた北大知能・言語出身の人々は、「はぅん(haxun)」や「はぅン(haxuN)」を邪道であると見なし、何度か主張している(しかしながら、同じく知能出身のなあく氏にそっくりな西川皇帝は現在においても好んで「はぅん」を使用している)。

そして同じく1996年春、別方面からのアプローチとして、AI出版から「HTML&CGI入門」(笹木望・藤崎真美・太田晶宏共著)が発売される(こんな短期間でよくやるなぁ>笹木他)。書籍中のいたるところに「はうン」「hauN」といった記述があったため、Web日記の存在を知らない者にまで「はうン」を広めた最初の書籍として有名。日記界ではその功績を称え「はうン本」との愛称で親しまれている。噂によるとその後はうン本はハングル版に翻訳されて韓国で販売。「はうン」の謎は日本だけにとどまらず、韓国にまで広がってゆく。←なぜかワシ韓国版一冊持ってたり(笑)

1996年秋。はうン本の改訂版である「新HTML&CGI入門」が発売された(ちとはうンで検索してみたらこんなページがあった。秋だと思ってたけど12月発売らしい)。著者の話によると売り上げは新あわせて10万部以上とのことなので、10万人以上の人が「はうン」の謎に悩まされていると推測される(事実誤認)。そういえば当時の笹木氏は「あ〜今日も(読者さんから)またはうンって何ですか?って質問メールが来てるよ〜(苦笑)」とよく言っていたのを覚えている。なお、5刷以降には、日記界のアイドルであるArctanX氏のデザインしたロゴボタンが多数掲載されていることで有名(←氏に新はうン本を持っていくとぐサインをいただけるぞ!)。

またWebの話に戻ると。1996年秋、ebanw氏が新しいマシン環境でのテストとしてhauN-MLを立ち上げる(最初はtest-MLという名前だった)。なお詳しい日付についてはえヴぁんに聞けばわかるでしょう。ただ当時のhauN-MLに流れるメールの多くはHNM関係の打ち合わせだったため、自然とメンバーのほとんどが北海道在住者と淘汰されていった。その中で、日記界のアイドルである東京在住のX氏がのん会長に会うためにHNMに参加するために北海道初上陸している点や、豊橋技科大組や仙台の汚点達も北海道に上陸し、hauNの洗脳を受けていることは特筆すべき事項であろう。

1997年春、メンバーの約半数が卒業・就職により東京に移動。それに伴いべんりくンのすべてをいわく氏ひきつぐこととなる(この時に「べんりく」になったと思われる)。同時にいわくべんりというページも開設される。

そして東京に移動したhauNメンバー(の一部)が、その勢力を拡大するため、毎週秋葉で散財を繰り返し、ギャルゲーばっかりやっている人及びロボの集団と合併(事実誤認)。東京在住のメンバー率が増えるとともに、hauNは巨大な集団と化してゆく。

なお、(hauN北海道組)と(東京散財組)が合流し巨大化することとなった要因の一つとしては、毎週水曜日の夜に渋谷で行われる通称水曜シンクロが挙げられる。これは当時渋谷に勤務していたX氏とぱやーん氏が、お互い定時退社日である水曜日の夜に一緒に夜飯を食べようと言い出したのがきっかけであることはあまり知られていないようである。ともかく、この水曜シンクロのおかげで、hauNな集団はさらに勢力を拡大していったのである。(←土曜天狗のほうが沙希?)

ところで(東京散財組)には、 千里眼で有名だった田村様をはじめ、かなりの技術スキルを有した人材及びロボが集まっていた。 そのため、彼等の能力がひとつにまとまった時、そこからはとんでもないパワーが発揮される。はうンプリクラはうンエンブレム、そして本物名刺の作成技術など、実物を見ればそのレベルの高さは一目瞭然である。

hauN集団の勢いはとどまることを知らず、1998年春には前記田村様の自宅に専用線を引き、ついにhauN.orgを取得。これを機にWeb上での活動もさらに活発となる。なお、前記田村様は、工学社の出版する雑誌「I/O」での連載にて、本文とまったく関係のない「はうン&はむはむ」の画像を挿入し、I/O読者にまでhauNの謎を広めている(I/O 1998年10月号参照)。

そして1998年の5月から10月にかけては、hauN-MLのメンバーである酒井氏、わしぽまま氏、きわもぽ氏が次々に結婚。hauN-MLの既婚者率を上げる。また結婚式に招待されたhauN-MLのメンバー(の一部)は、7月の札幌、10月の鎌倉と、Webとまったく関わりのない一般の人々にもhauNという集団の存在を知らしめることに成功する。

1998年末、hauN-MLの有志とその知りあい達によって、「はうンしすてムズ(hauNsysteMZ)」という名前でコミケに出展。数々の品を販売する。彼等は初参加にしてすべての品を完売するという偉業を成しとげた。

1999年現在、hauNという名前のつく(集団)にはhauN-MLhauN.orghauNsysteMZの3つの(グループ)があるが、そのメンバーには、一つの(グループ)にのみ所属している者やすべての(グループ)に所属している者で構成されており、各(グループ)ごとに明確な線引きをすることはその(グループ)のメンバーでさえも困難であると言われている。なお、現在なあく氏が監督を行っているまじかるとこちゃんの打ち合わせは、IRC上(#hauN-ML)で行われることも多いが、製作グループ名にhauNの文字が含まれるかどうかは今のところ不明である。

つづく

かうぽね

DiaryServer Diary/1.106 (DiarySrv::Diary/1.211 ; Compress::Zlib/1.34)
Created: 1997/12/09, Updated: 2004/01/04