夢目記
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☆ 「イモケン学派の問い」事実誤認を訂正しました。こちらとこちら。
2009/12/11 金閣寺読了(2009年12月10日(木))
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Michel Camilo / Michel Camilo→Bill Evans with Philly Joe Jones / Green Dolphin Street。昨夜と同様、三島由紀夫『金閣寺』の新潮文庫を読み続け、読了。
僕が考えていたのは、何故悪が可能でなければならないか、何故人間は「行為」せねばならないか、どうして主人公が鹿苑寺の住職になって金閣を「所有」するといったハッピー・エンディングではいけないのか、ということだった。
三島由紀夫が大江健三郎の『個人的な体験』の結末を批判した顛末はよく知られている。しかし、二人のいずれが正しかったのか、僕には判然としない。文学は、「文学的」でなければならぬか? 言い換えれば、悲劇的でなければならぬか?
話は飛ぶが、川上未映子の『ヘヴン』。この作品が、コジマ的なものに留まっていたなら、それは単に文学であるということだったと思う。しかし、この作品のラストで「僕」は手術で斜視を治す。いわば、「しるし」を消し去る。「僕」は僕には脱-文学的な次元にいるように思える。百瀬は哲学的な次元にいる。しかし恐らく、文学も哲学もそれからの「脱」を必要とするものなのではないのか?
また、しみじみと感じたのは、『金閣寺』が比類のない「青春」小説だということだ。もう青春というものの終った僕にはそれが痛いほど分かる。よく「イタい人」などと言うが、その意味でこの主人公もイタい人である。しかし、青春というものは、特に暗い青春というものは、イタいものであらざるを得ないのではないのか?
僕自身は、暗さ、青春の暗さを既に脱している。もう老人であると言っても良い。「行為」でなく「認識」を選び、単に生きること、生存を選択する。悪よりも小さな善を選択する。金閣寺を焼くより、鹿苑寺の住職になろうとする。言い換えれば、非文学的である。非悲劇的である。僕の人生は悲劇などというものではない。恐らく喜劇だ。或いは、笑劇。僕は自分のことを、自虐芸人と表象することがままある。お笑い芸人が挫折すると悲惨だという話をよく聞くが、僕などはさしずめ千度も挫折したお笑い芸人といったところであろう。何者でもないし、今後何者にもなれないことが確定している。言い換えれば、金閣寺を焼かぬことを決意している。
精神科医のデス見沢は、最後はみんな頃して自分も氏ぬ心意気で、という意味のことをどこかで語っていたが、僕は「みんな頃す」つもりがない。言い換えれば秋葉原の加藤智大君や別の事件の金川真大君のような大きな「行為」を為すつもりがない。それは僕が善人だからではない。単に、そんなことをしても無益だと考えているだけだ。
核ボタンを握っている権力者ででもなければ、そもそも「みんな頃す」ことなどできない。人間の行為は有限であり、破壊できる物の数は限られている。まして日本は銃社会でもない。オウムのようにサリンでもばら撒くなら別だが、そうでなければ大量殺人など不可能なのだ。そして大量殺人に何か意味があるわけでもない。人生の他の事象が無意味なように、それもまた無意味である。
僕は僕の健康と希望とを、醜悪なものと看做す。しかしそれで別に悪いと思わぬ。開き直っている。僕は自分の非悲劇的な、夭折なき人生をだらだら生きるつもりである。鈍い、しかし確かな決意である。
働き始めてから、自殺したいと願う時間が減った。
労働していると、動いていると、活動しているか疲弊して休んでいるかで、余計なことを考える余裕がない、というのもあるだろう。
哲学者・作家・音楽家になるという目標は超ハードル高いが、非正規労働者になるという目標はハードル低いというのもあるだろう。ハードル越えると、達成感あるものだ。僕も自分が本当に雇われるとは思わなかったので、実際雇われてみて驚きだった。
肉体労働は体がきつい。指の皮が剥けたり、爪が剥がれそうになったり…痛い思いもする。だが、時間時間できちんと終る。それがありがたい。
一日の労働を終えて、帰宅する時に聴くピアノトリオが、至福の時。
小説が書きたいなあ、と思いつつ、技術がなく書けない日々。もうこれで、三十四歳なんだから、デビューを夢見るのはやめようよ。ブログなら毎日書いてるけれど、労働が辛いとか苦しいとかも書きたいけど禁止されているので書けず、音楽と教習所の話題だけになってる。
いつのまにか、インターネットラジオも動画公開もストップしている。気力が続かない。体力がない。労働を終えると泥のように眠り、朝入浴することもままある。朝は大抵五時に目覚めるが早過ぎだ。もう老人化してるのか。
セロニアス・モンクが飽きない。特に評価が低い六十年代。僕は結構好きです。創造性が枯渇したとか田舎のドサ廻りだとか揶揄されていたんだけれどもねえ。そういや図書館で、スイングジャーナルの最新号をぱらぱら見たら、モンク特集で、僕が最近入手したものなどが紹介されてた。AmazonとSJ、連動している!? 商魂逞しいねえ。
老母の皮膚に異変。乳房の裏とか臍の周りが赤く腫れ上がり角質化して白くなってポロポロ落ち、落ちたところは赤剥けになって痛いという。見ていて痛々しいが、老化現象なのだろうか。それとも皮膚癌などの前兆? 僕は仕事さえなければ病院に連れていくんだけれど、仕事があるからなあ。
日曜の夜はいつも、厳しい抑鬱に悩まされる。多分今夜もそうだろうし、それを癒す薬は存在しないだろう。
『ザ・キッカー』が良かったので、ジョー・ヘンダーソン・フィーチャリング・チック・コリア『リラクシン・アット・カマリロ』を掛けてみる。
死にたい時、どうすればいいかはよく分からない。自分を肯定する? フフンと鼻で笑いたくなる。肯定するほどの自分はないよ。俺、「自分」っつーのがない人間。
気分も変り易くて。態度も傲慢で。一貫性なく、攻撃的で。支離滅裂で。
街でカップル見掛けると「フフン」と笑ってたものだが、34歳を過ぎて、自分には他者と付き合う能力が完璧に欠如していることに気付く。どうしても他者を受け入れられぬ。だから、対になれぬ。これまでもそうだったし、これからもそうであろう。
単純なことだが、小説を書くにはキャラクターを設定し、それらを動かしてプロットを組み立てねばならぬ。自分にはそれがどうしてもできなかった。だから、小説が書けない。身辺雑記めいたものしか書けぬのだ。それが致命的だと思う。
そんな僕の理想の小説はウィリアム・バロウズ『裸のランチ』(笑)。いやー麻薬やらんけどあんなの書けたらいいよねえ。
キャンセル待ちで8:30に教習所に行くが、早く目覚めすぎてしまった。The Montgomery Brothersの『Groove Yard』を聴く。ウェス・モンゴメリーのギター。バディ・モンゴメリーのピアノ。モンク・モンゴメリーのベース。ドラムはボビー・トマスという人だ。何故か最近これがお気に入りで、よく再生している。
何か夢を見たような気がするが、忘れてしまった。
チンポ切り祭りをノーカットヴァージョンで。性的饗宴のために、享楽のために去勢される少年達を祝え。宦官の名産地、福建省では男色が盛んだったというが、小学生の頃も今も宦官という役人と男色という性的実践にどんな関係があるのか理解できない。僕が想像して愉しんだのは宦官同士の性交だ。それが例えあり得ないもの、歴史的には実在しなかったものだったとしても。
小供の頃の僕を惹き付けたのは、理不尽に去勢される少年達というテーマだった。戦争で捕虜になり、数千人もの少年が去勢されたというエピソードなどが最高に興奮させた。切り取られた数千本の男根と睾丸。血塗れの股間を想像するだけで萌えた。また、中国ではかつて、父親が罪を犯すと家族も連座するのだが、父親が死刑になる時、小供が罪一等を減じられて宮刑となり去勢されることがあったというが、自らが犯したわけでもない罪のために切り取られる生殖器を想像しては僕は興奮した。何故自分の性欲が、そのように加虐的で残虐な方向に向かうのか僕には自分で自分が分からなかった。また、宦官になって、切り取られた男根のうち体に埋もれていた部分が出てきた場合、再手術が命じられることがあったというが、一生のうちに何度も去勢されるということが僕を物凄く興奮させ性的な気分にさせた。そのような豪奢な残酷があっていいのだろうか。宦官には、公務に就いている時期より、傷の療養で病床に臥している時期のほうが長い者もいたというが、そのように非経済的で無駄なシステムが僕を魅了してやまなかった。また、安禄山が李豬児を宦官にした描写などが素晴らしく思えた。李豬児は最後には裏切り、安禄山の巨大な腹を切り裂くのだが。或る時代、宦官王国ができ、その皇帝は有能な者はまず去勢してから登用するといった徹底ぶりだったというが、そのような無駄で非経済的な豪奢に憧れた。地域は飛ぶが、古代ローマのヘリオガバルスが飼っていた、人間の男根だけを食べて生きていたというライオン、ヘリオガバルスが塔の上から花々とともに投げ下ろしたという寄食者達の男根などにもうっとりした。
明治時代、相続される財産を独り占めするため、義理の息子を権利能力の無い者としようと、病院を買収して去勢するといった事件があった。インターネットで検索して見つけて悦んでいたが、去勢は完全去勢だったのか不完全去勢だったのか、その小供は長ずるに従ってどんな人生を歩んだのか、麻酔はどうだったのか、など、決して調べられようはずもないことが興味を惹いた。また、昭和に、杉並少年通り魔事件というのがあった。中学生が複数の小学生を襲い、そのうちの一人の男根を完全に切断したという事件である。中学生は捕まったが、少年院を出所後、やはり小供を金槌で襲い収監されている。やはり矯正は不可能だったのか。しかし、自ら抑え難い暗い衝動のまま生きる犯罪者が僕の想像力を刺激し、性欲を掻き立てた。

Linda
<linda@kza.biglobe.ne.jp>
DiaryServer Digest/1.102 (DiarySrv::Diary/1.211 ; Compress::Zlib/1.34)
Created: 1997/12/09,
Updated: 2004/01/04